3/25 パラドックス定数『四兄弟』感想兼日記

四日ぶりの東京。丸ノ内線を一瞬見失いながらも何とか劇場へ。下のカフェでコーヒーチケットを六枚買い、コーヒーを飲みながらメッセージを考える。差出人の名前どうしよう……

コーヒーチケットは最後に提出することにして、とりあえず列に並ぶ。受付で知恵の輪を引き換えてもらい、番号呼ばれるのをドキドキしながら待つ。今回、私はどうしても猟銃で狙われたかった。土曜のマチネ、果たしてあの席は空いているだろうか。

上手!二列目端!空席!と思いながら座る。ラッキーだった。あとは観るだけ。ソ連、ロシアの歴史をもうちょっと詳しく調べたかったけどタイムアップ。地吹雪のような音に耳を澄ます。

兄弟の話として観たときは不自然に感じた部分が、そういうことか!という感想に変わった。重ね合わせているものの正体が分かる。レーニンスターリンゴルバチョフ?いや四男がゴルバチョフかな。最初に観たときも思ったけど、人物や国だけじゃなくて色んなものが重なってるんだろうな。

兄弟でも許せないこと、兄弟だからなあなあになる部分、断ち切りがたい関係。『四兄弟』という作品で描きたいことを考えたとき、ソ連・ロシアという題材を借りてくる必要性はあったのかなと少し思う。けど構造がめちゃくちゃ興味深い。それぞれのやり方をあんな風に見せるなんて面白すぎる。人気で支配することをアイドルで表現するとか天才だと思う。コラボ、ツアー、ライブという比喩よ!

ラストはどうなんだろう。パラドックス定数ってこうなってこうなってこうなりました、みたいな作品が多いと思うんだけど、『四兄弟』は用意されたラストのように感じた。今のロシアを描くんだったら当然そうなるのは分かる。暴力の象徴である猟銃を持つ次男がその決断をするのも分かる。

でもなんか納得できない気持ちがある。これは最初に見たときの感想だけど、急にめっちゃ今の話じゃん!と感じたからかな。兄弟の話として観てたのに、みたいな。分からん。この辺りの感想は変わる可能性があります。

ああ、冷静な気持ちでもう一回観たい。でも次男の視線を間近でじっくり見れたので満足。アンケートとコーヒーチケットを提出して劇場を出る。

「ソワレが観たい、千秋楽も観たい、というか帰りたくない!」と道端で叫んでから、椎名町駅に向かった。新幹線の時間が迫っている。来年は泊まりで観れたらいいな、と思うけど状況次第だな。何にせよ今から楽しみ。リヒャルト・ゾルゲ事件ですってよ!(全然知らない)