オニオンリング

 一箱古本市の片隅で、私は昼ごはん難民に陥っていた。
「すみません、これお願いします」
「ありがとうございます、四百円です!」
 なけなしの愛想を振り絞る。文庫は全て二百円と謳ったせいか、今日はやけに売れ行きがいい。昼時だというのに、数人の客が真剣に本を選んでいる。
 こんなことなら、コンビニでパンぐらい買っておくべきだった。「手羽餃子どっすかー」「海鮮焼きそばいかがっすかー」という屋台の呼び込みが怨めしい。
「こっちもお願いします」
 はいはい、と空腹で霞んだ目に、白くてふっくらしたものが映る。
「そちらのクリームパンもですか?」
「クリームパン?」
 本の脇に添えられていたそれは、よく見ると客の両手だった。
「失礼しました、二百円です!」
 笑顔と勢いで押し切ると、私はパイプ椅子にぐったりともたれかかった。もう限界だ。
 落語寄席や青空カラオケが行われている祭り会場のなか、一箱古本市のスペースはまったりとした空気が流れていた。向かいで出店している二人組は、楽しそうにいちご飴を舐めている。こっちは昼すら食べていないのに、もうデザートか。
 目の前の客さえいなくなれば、手羽餃子を買いに行けるのに。憎々しく眺めていると、「ねえ、あっちに射的あるよ!」と男の子が駆け寄ってきた。空腹を逆撫でするような声だ。右手に持ったオニオンリングが眩しい。
「うん、今お父さん本見てるから」と目の前の客が応えた。二人とも銀河鉄道999の車掌さんのような体型をしている。車掌ジュニアは不満そうな顔になった。
「しゃーてーきーやーりーたーいー」
 声に合わせてオニオンリングが不安定に揺れる。地面に落ちたら拾って食べてしまいそうだ。「静かにしなさい」と言いながらも、車掌パパは『阿房列車』から目を離そうとしない。
 しびれを切らした車掌ジュニアは、射的やりたいやりたいやりたいやりたいやりたい、と喚きだした。車掌パパの体によじ登り、耳元で叫んでいる。
 さすがの車掌パパも、声量と重量の攻撃に耐えかねたらしい。「わかったから!」と車掌ジュニアの方を向いた瞬間、オニオンリングが跳ねた。
「あ」
「あ」
「あ」
阿房列車』の上に見事着地したオニオンリング。私はすかさず手を伸ばして口に入れた。少し油っぽい。
「あの……」
「これ、あんまりおいしくないですね」
「おれのオニオンリング!」と騒ぐ車掌ジュニアを無視して、私は『阿房列車』に目線を移した。怪訝そうな顔をしている車掌パパに向かって、「よかったらその本差し上げますよ」と提案する。油染みの付いてしまった本は、どうせ売り物にならない。
「代わりにオニオンリングと交換しましょう」
「いいんですか?」「いやだ!」という声が同時に上がる。地面に下りて逃げようとする車掌ジュニアから、オニオンリングが取り上げられた。これで『阿房列車』は車掌パパのものだ。
 ふくれっ面をしていた車掌ジュニアだったが、焼きそばと唐揚げと綿菓子を買ってもらうことで手打ちにしたらしい。「じゃあまずは射的ね!」と元気よく駆けていく。
 午後二時過ぎになって、また客が増えてきたようだった。人の流れを眺めながら、私はオニオンリングを一口で飲み込む。昼ごはんはまだ当分買いに行けそうにない。